旧久礼坂

 中土佐町久礼は鰹の一本釣りで知られる漁港の町。
この先中村との間には高南台地が立ち はだかっている。
七子峠の標高は293m。
海岸沿いルート(黒潮ライン)は現在も建設中で、
高知から中村方面に向かうには、
昔も今もここで久礼坂を登らなければならない。
 
この久礼坂には4つのルートがある。
 一番新しいのは、もちろん現在のR56。
一番古いのが添蚯蚓(そえみみず)坂。現在のR56より北側に迂回して七子峠に至る。
次が遍路道で、現在のR56よりも南の谷、奥大阪集落を通って七子峠に至る。

 そして今回探索してみたのが、旧R56。
現在のR56の南を、現道に張り付くように走っている。

 中土佐町久礼を過ぎてすぐ、左手に入る道がある。
おそらくこれが旧道であろう。
しばらく川沿いに走り、やがて緩やかな上り坂になる。
道幅はそんなに狭くはない。対向車との離合も可能なほどである。

 ──と、R56のおにぎりを発見!
生い茂る木々に隠れるようにおにぎりはあった。
おにぎりの下は薪置き場にされており、薪の山から生えるようにポールが立っ
ている。そのポールは赤く錆び付き、おにぎりにもところどころ青い錆がある。
通常のおにぎりよりも青色が濃く、藍色といった方が正しそうである。R56、一級
国道に昇格した昭和38年に立てられたものなのだろうか。
でも、それよりはもう少し新しそうな気もするが……。

(ちなみにこのおにぎり、現在は取り外されている)




 しばらく走ると、三叉路にさしかかった。
道なりに直進すると、数メートルの舗装路の後、未舗装になっている。
左に折れると、これまで通りの舗装路。
道なりに直進するのが正解。
が、とてもじゃないが車では行けそうにないので、
反対側に回ってみることにした。


現道に復帰し、しばらく坂を上って、やっと旧道への入口らしきものを見つけた。
久礼坂の第二トンネルを抜けた所、すぐ左手(谷側)に1車線の未舗装路があった。
山側に休憩スペースがあったので、そこに車を停めて、同乗の犬を連れて歩くことにした。
もちろん旧道には轍もあって、車が通れないような道でもなかったのだが、まった
く管理されていないであろう道である。途中何があるか分かったものではな
い。バイクならともかく、スカイラインでは身動きがとれなくなる恐れがある。

 少し歩いて、円形の標識が崖面に倒れかかっているのを発見した。ちょうど裏
側になっていたので、近づいて草をかき分けてのぞき込む。「警笛鳴らせ」だっ
た。ここにR56のおにぎりでもあれば、歓喜もの(^^;なのだが、これで、以前ここ
を自動車が通っていた証明になる。この道が旧R56と見て、ほぼ間違いないだろう。

 現道が久礼坂第二トンネルで簡単に抜けているところを、旧道は等高線に忠実
に迂回して下っていく。大きなカーブを曲がると、現道の高い橋脚が見えてきた。
旧道は現道のだいぶ下を進むらしい。


──と、目の前に土砂崩れ跡があらわれた。前日の大雨のせいかは分からない
が、新しいものに見えた。結構規模の大きなもので、道幅(といっても1車線だ
が)のほとんどが土砂で埋まっている。自動車ではとても通過できない。歩いて
きて正解だった。新しい土砂崩れということは、またいつ崩れないとも限らない。
慎重に、かつ足早にそこを通り過ぎた。



 旧道は現道の直下を進んでいく。その高低差は10メートルは優に越えている。
轍はあるものの、最近車が通った形跡はない。道の両側にはすすきが生い茂っている。
遙か久礼の町(北東方向)を見やれば、斜面に張り付くように旧道が続いているのが分かる。



 それにしても、さっきから山側の斜面に、小さなお堂のようなものが無数に立
っている──というよりは張り付いているのだが、いったい何なのだろう。
斜面に窪地を掘って──時には1本か2本の材木で足場を作って──、
その上に木製 のお堂のようなもの(形は直方体から円柱形までいろいろ)を立てている。
大きいもので1辺が30pぐらいで、高さも高くて50p程度。屋根はトタンを載せてい
るだけで、上に石で重しをしているだけの簡単なつくりである。この物体の正体
はいったい何だろう。事故でなくなった人の墓? まさか、こんなに多数の人が
死んだとは、いくら酷い道だとしても思えない。おそらく、旅の安全を祈願して
立てたものだろうか。誰かご存じの方があればご教授いただきたい。



 しばらく行くと道が二手に分かれている。一方は切り通しを通って、現道の橋
梁の下をくぐり、どうやら現道につながっているようである。さっき現道を通っ
た際には見落としてしまったのだろう。もう一方は、これまで通り現道に沿って
斜面に張り付いて下っている。もちろん後者の道を選んだ。

 道の状態が次第に悪化していった。前日の雨の影響か、水たまりが行く手をは
ばんでいたり(こともあろうに、この日黒の革靴を履いていた)、やがては谷側
が竹藪になり、ついには笹が道を覆って、笹を踏みしめながら進んで行くような
箇所にも遭遇した。結局、時間がないこともあって、途中で引き返すことにした。



 ──さて、(1時間足らず後)自動車に戻って、再び中村方面に向かって走り
出したのだが、久礼坂第三トンネルの手前に、左に入る道を発見。躊躇する間も
なく、衝動で進入していった。今度は自動車で。

 初めのうちは路面状態もよく、快調に走っていたのだが、
カーブを曲がると突然大きな石が1つゴロリ。
ブレーキをかけたが間に合わず、思い切り腹をこすってしまった(^^;。

 懲りずにまた進んでいく。どうやらトンネルの出口のちょうど真上を走っている
ようだ。──と、道が急に狭くなっていく。いや、まだまだ行ける、現道に出ら
れるはず、と思ったら大間違いだった。車を停めて、先を確認しに行く。すると、
防災フェンス設置のため旧道が削られてしまい、とても自動車が通れるよ
うな幅ではなくなっていた。大きな枝が何十本も落ちていて、歩いていくのも難
しいほどだった。

 問題はどうやって戻るのかだった。1車線の道でガードレールはもちろんナシ。
とりあえず、かろうじて転回できそうな場所まで後退する。
実は、一度溝に後輪を落として以来、後退が苦手なのである。
車庫入れは別に平気なのだが、周囲が溝(崖)だと、うまく後退ができない。
事故(というほどでもなかったが)の後遺症だろうか、恐怖心がどうしても拭えないのだ。
しかも、この場面では命がかかっている。慎重に転回できそうな場所まで後退。
同乗者がいれば随分とラクだったのだが、イヌでは役に立たぬ。
そして一番怖かったのは転回。
路肩ぎりぎりまでバックしながら、なんとか転回できた。
路肩が崩れでもしたら一巻の終わりだった。

 とにかく、旧道探検の怖さを思い知らされた1コマであった。


「旧道を往く」表紙