道のはじまり
このコーナーでは、私にとっての道の歴史を書いていきます。
1.幼少期
幼稚園の頃やっていたことといえば、市外局番暗記(当時は5桁6桁の市外局番はざらでした)、
県庁所在地暗記、電機メーカーのマーク(日立の亀の子マークとか)を書くことでしたが、
とりわけはまっていたのが、「道路地図を見ること」でした。
幼い頃の話なので、記憶が定かではありませんが、
高知県庁前にある道路元標を見つけたのがそのきっかけだったと記憶しています。
「32 終点」、「33 起点」と書かれると、じゃあ、起点はどこだろう、どこまで
この国道は続いているんだろう、と考えるものです。
さっそく道路地図を開いて、
「32号は高松から来ているんだ」
「197号は海を渡って大分まで続いてるぞ」
などという発見をします。
幸いにして、父が旅好きだったので、年に2回は
四国外への旅行に出ていました。
当時は飛行機や鉄道は一切使わず、専ら自動車での旅行。
もちろん本四架橋はおろか、高速道路さえほとんど整備されていない時代でしたので、
父の体力には、いま思い出しても感服します。
子供の私は後部座席に座りながらもナビ役を買って出ていました。
どれだけ役をなしていたのかは分かったもんじゃありませんが。
そして、地図を見ながら、
「この国道は何号線か?」
「起点と終点はどこか?」
などという問題を両親にふっかけていた記憶があります。
ちょうどその頃描いていたのが、下のような絵でした。
5歳のときの作品です。間違いを探せばきりはないけど。
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つづく
(続編はいつになることやら)